第二次世界大戦後、日本はアメリカ・イギリス・ソ連・中華民国の分割統治の危機がありました。
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首都東京は4か国の共同統治、北海道・東北はソ連、関東東海はアメリカ、近畿はアメリカと中華民国、四国は中華民国、中国地方と九州はイギリスの統治下に分割される計画がありました。

しかしこの計画は実行されることなく、GHQによる単独支配を経て、サンフランシスコ平和条約により晴れて日本は国際社会に復帰しました。

第二次世界大戦や東西冷戦によってドイツ・朝鮮半島・ベトナムなどが分断国家となり、ドイツやベトナムは長い時間を掛けて統一を果たしました。

ではどうして日本は分割統治の計画がありながら、GHQの単独統治下に置かれたのでしょうか?

それは当時のスリランカ大統領ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏によるサンフランシスコ講和会議での感動的な演説によって分割統治の危機を免れました。
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下記は演説の抜粋です。

セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国こ供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。
我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。

大師のメッセージ「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。
 
そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。

この演説で会場は拍手喝采に包まれ世界各国の指導者の心を動かしました。

スリランカは日本と同じく仏教徒が多い国で、その仏教の教えが日本に根付いていることによって日本が救われました。