ポン助の雑談ブログ

興味を持ったことをまとめました。

地獄

2018年12月15日と16日に大阪府平野区にある「全興寺」と、滋賀県滋賀県犬上郡多賀町にある「真如寺」に行ってきました。

全興寺にはリアルな地獄の様子を見学でき、真如寺には地獄絵図があるとのことでしたので訪問しました。

1.全興寺
まず15日に全興寺を訪れました。普通の商店街・住宅街の真ん中にあるお寺になります。駐車場はありましたが、満車で空くような感じではなかったため、渋々近くの有料駐車場に停めました。1時間100円でしたので格安で済ますことができました。
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入口は2か所あって、住宅街の方から入りました。

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こちらは商店街からの入口になります。

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「ウソをつくと舌をぬくぞ」と地獄の鬼から警告の看板があります。

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舌を抜かれないようにとりあえずお参り

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こちらが本堂です。まずは本堂でお参りしてから地獄めぐりをしました。

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親切な鬼が「地獄」と「ほとけのくに」を案内しています。まずは地獄を訪問しました。

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ここが地獄の入口です。特に怖さはありません。

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地獄の入口に、「地獄度・極楽度チェック」なる怪しい機械がありました。無料でできるので試しにやってみました。

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結果は・・・・・下から2番目の「地獄行きを覚悟せよ」でした。しかし「今までの生き方を悔い改めればまだ間に合います」と閻魔大王様から助言があったため、悔い改めることにしました。

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中に入るとすぐに閻魔大王様がお待ちになっています。まさに鬼の形相で睨め付けてきます。

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ちなみに仏教では死んでから七日ごとに裁判を受けなければいけません。その裁判官の十王でしょうか?ゴマすりも忘れないようにしました。

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「地獄の沙汰も金次第」というわけで、お賽銭を入れてお参りしました。それとドラムをたたくと地獄の様子を動画化した映像が見れますので見てみました。

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黒いスクリーンに7分程度地獄の様子を見ることができます。

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閻魔大王様の下で働くで懸衣翁(けんえおう)が睨みを利かせています。この鬼は奪衣婆が追剥した衣服を衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝にかけて、枝のしなり具合で罪をはかります。ちなみにしなり具合が大きいほど重罪です。

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同じく閻魔大王様の下で働く奪衣婆(だつえば)という婆さんが睨んでいます。この婆さんは三途の川のほとりで、渡ろうとする者の衣服をはぎ取る追剥をしています。

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懸衣翁と奪衣婆のツーショット

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懸衣翁があやしい道具を持っていますね。舌を抜くつもりなのか、商売道具なのか?

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人間の模型から、奪衣婆はかなり大きいようです。

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地獄の散策を終え、境内を散策しました。地獄の音が聞こえるという「地獄の釜」がありました。頭を入れてみましたが何も聞こえませんでした。

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これは弘法大師像です。ありがたいですね。

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「おいのりさん」といわれている手清石をまわしながらお祈りしました。

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先ほど親切な鬼が案内していた「ほとけのくに」がありましたので立ち寄りました。

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薄暗くてちょっと不気味な感じがします。それでも「ほとけのくに」に通じています。

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薄暗くて分かりにくいのですが、3方面に仏様が安置されています。

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こんな感じです。

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写真写りがよろしくなかったためフラッシュで撮影。罰当たりかな?

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境内に仏足石というお釈迦さまの足の裏を石に彫ったありがたい石がありましたのでお参りしました。

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この仏足石を拝むともろもろの罪がなくなるという大変便利なアイテムになります。

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境内には他にも「駄菓子屋さん博物館」という小さな博物館があり、無料で見学することができます。昭和時代の駄菓子屋さんの様子を再現しています。

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土日限定のイベントがあり、子供たちがイベントに参加していてにぎやかでした。

これで全興寺の訪問を終え、滋賀県の真如寺に向かいます。

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死ぬことは怖いことなのか?多くの人は怖いと答えるだろう。当たり前である。人間だけではなく、動物にも組み込まれた本能だから誰もが怖いと思うはずだ。
no title

ではなぜ死ぬことは怖いのだろうか?肉体が消えて無くなってしまうからだろうか?それとも死後の世界がどうなっているか分からないからだろうか?誰も死後の世界に行って帰ってきた人はいないから分からなくて当然である。
no title

人間には分からないことに対する恐怖は本能的に備わっています。だから知らない土地に行くのも知らないお店に入るのもちょっとだけ勇気がいりますよね?それに何が入っているか分からない箱に手を突っ込むとか何かと恐怖ですよね?

しかし中には死ぬことに対する恐怖がない人もいるだろう。私もそうだ。別に死ぬことに対して恐怖はない。ただし死ぬことに対するプロセスには恐怖がある。具体的には、死ぬ瞬間の痛みや苦しみ、息苦しさや体調悪化の気持ち悪さなどは怖い。それはそうだろう。死ぬと息ができなくなるから、
のたうち回るように苦しいかもしれないし、心臓が止まると猛烈に胸が痛くなるかもしれない。だから死ぬ段階のプロセスに対しては恐怖である。

でも死んだ後に関しては全く恐怖心はない。人の価値観にもよるが、天国や地獄があるかもしれないしないかもしれない。輪廻転生で生まれ変わるかもしれない。もしかしたらただただ真っ暗な無の世界に放り込まれるかもしれない。

あの車いすの天才物理学者のホーキング博士は、死後の世界はないと断言して、宗教界から大バッシングを受けました。「人が死んだら壊れたパソコンと同じで、電源が切れた画面のように真っ暗なだけ」とのニュアンスを言っていました。

私の考えでは、死んだ後に天国にいようが地獄にいようが、真っ暗な無の世界にいようが死んだあとは肉体的な苦痛があるわけではないしどうでもいいと思っている。だから針山を歩かされても、ぐつぐつ煮えたぎる鍋に放り込まれようが苦痛がないかもしれない。

たとえ無の世界に放り込まれても、無だから何もない、何もないのだから私は存在しない。苦痛もなければ快楽もない。それを感じる脳もないのだから苦痛ではない。だから快楽がなくても苦痛ではないのだ。

最近思うようになったのが、もしかしたらこの世界が死後の世界かもしれない。「天国と地獄の長い箸」をご存じだろうか。天国と地獄は実は同じで、食べ物に溢れているだということ。
no title
それでも天国では食事にありつけて、地獄ではお腹を空かしている。これって現実世界と似ていないだろうか?先進国では食事にありつけていて、アフリカや紛争地では食事も満足にできず、今日の命さえ保証されていない。同じ地球なのにこのように差があります。なので、もしかしたら地球は天国と地獄が入り乱れている死後の世界かもしれないのだ。

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