ポン助の雑談ブログ

興味を持ったことをまとめました。

高野山

2019年1月4日に高野山の金剛峯寺と奥の院とその周辺を訪問しました。2018年の正月にも金剛峯寺と奥の院を訪れましたので、2回目の訪問になります。

というのも最初に訪れた際、雪が深々と降る高野山の神秘的な空間に魅了されたことと、準備不足もあって、すべて回りきっていないことがあったためです。なので、今回は、2018年の補足記事になります。

今回も真冬の高野山ですので、雪道に不慣れなこともあって、車は道の駅に停めて公共交通機関で高野山に向かいました。前回は南海鉄道高野線の部分運休でしたので代行バスに乗って橋本駅から高野山駅に向かい、高野山エリアをバスで移動しました。しかし今回は、南海鋼索線(高野山ケーブル)が設備の更新工事で、平成31年2月下旬まで運休でしたので、橋本駅から代行バスで高野山に向かいました。

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今回の代行バスは、橋本駅から大門南駐車場になっていましたので、高野山エリアは徒歩で移動することになりました。

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大門に向かう途中で助け地蔵尊がありました。願い事を1つ叶えてくれるといわれています。しかし手が痛くなるような寒さでした。

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大門になります。大門は高野山全体の総門になります。ここに、和歌山県九度山町にある慈尊院から延びている町石道が合流しています。

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以前、ブラタモリの高野山がテーマの時に、タモリさんと近江ちゃんがここから出てきました。
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大門の左右には金剛力士像が祭られています。

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こちらは右側

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こちらは左側

大門から徒歩で、根本大塔と金堂に向かいました。

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こちらは金堂になります。金堂は前回も訪問しました。年末年始は無料で見学できます。中には仏さまが安置されています。入り口には塗香があり、体を清めてから焼香させていただきました。焼香の独特の香りが染みついていて神聖な気持ちになれます。

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こちらの根本大塔も前回訪問しました。年末年始は無料で見学することができます。中には仏さまが安置されています。こちらにも入口に塗香がありましたので、体を清めてから焼香させていただきました。
焼香の独特の香りが染みついていて神聖な気持ちになれます。

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こちらは六角経蔵になります。これは一切経を納めるために建てられたもので、この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は現在霊宝館に保管されています。

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この六角経堂には取っ手が付いており、1周回すと一切経を一通り読んだ(読誦)効果があります。写真には外国人夫婦の旦那様が回していました。
ブラタモリでもタモリさんと近江ちゃんが回していました。

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これは三鈷の松になります。普通は二葉になりますが、この松には三つ葉のものがあります。ブラタモリでは近江ちゃんが偶然にも三つ葉の松の葉っぱを見つけていました。しかし訪問時は雪で地面が覆われていたため発見することはできませんでした。この三つ葉の松は縁起物とされています。

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金剛峯寺本堂入り口になります。

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こちらが本堂になります。年末年始は無料で見学できるので見学させていただきました。

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本堂見学後に奥の院を訪れますが、途中にビルマ堂なる変わったものがありましたので立ち寄りました。このビルマ堂は隣の成福院が管理していて、ビルマ戦没者供養塔(成福院摩尼宝塔)と言われています。

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入ってすぐにご本尊が祭られています。

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ここには特大の数珠で作られた面白いおみくじがあります。数珠を3回回して、最後に握った数珠のマークで運勢を決めます。無料でできます。

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ここにも地獄の様子を描いた地獄絵がありました。地獄絵は、大阪にある全興寺と滋賀にある
真如寺にもあります。

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短いですけど戒壇巡りもできます。真っ暗の中を手探りで進みます。誰もいない中の暗闇は怖いです。

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懐かしい両替機がありました。お線香とロウソクが10円単位ですので、細かいお金がない用です。

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ここから改めて奥の院に向かいます。やはりこの橋を渡ると空気が変わります。奥の院については2018年訪問時と併せてご覧ください。ここからはダイジェストになります。

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伊予の戦国大名河野通直の墓所になります。ファミコンの「信長の野望 戦国群雄伝」では毛利か長宗我部に開始直後に攻められてしまいます。

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武田信玄・勝頼親子の墓所になります。戦国大名や武将の墓所をめぐる人は多かったです。

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上杉謙信の墓所になります。通りから少し奥に入ったところにあります。

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三河時代からの徳川家家臣の榊原康政の墓所です。

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伊達政宗の墓所になります。伊達家ともなると大きい墓所です。

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島津家初代と2代目の墓所になります。島津家も大大名らしく大きな墓所になります。

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石田三成の墓所もあります。石田三成は、実は悪徳武将ではなく、豊臣家を思って意志を貫いただけで、徳川家に悪人とされてしまいました。正義は勝つのではなく、勝ったものが正義になってしまう世の中です。

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明智光秀の墓所になります。優秀な武将でしたが、真面目すぎたのでしょうか?

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こちらも三河時代からの徳川家家臣、本多忠勝の墓所になります。戦場でかすり傷一つ負わなかったとか・・・。最後の傷は自分の持ち物を小刀で彫っているときに手が滑って付けた傷と言われています。

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中の橋です。両サイドには雪が積もっています。

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ビルマ戦没者の供養塔もありました。

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豊臣家の墓所になります。高野山を焼き討ちしようとしたのに、ちゃっかり墓所はあります。

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右側は織田信長の墓所になります。左側は大和の戦国大名、筒井順慶の墓所になります。みなさん信長の墓所は見ているのに、筒井順慶の墓所は気づかないのか素通りしてました。

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忠臣蔵の原因となった浅野内匠頭の墓所になります。

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途中には化粧地蔵なる変わったお地蔵さまもいました。色鮮やかに化粧をしています。

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今回も水向け地蔵に水を掛けてお参りしました。寒い中みなさんすべてのお地蔵さまに水を掛けていました。

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寒かったので、参拝後に無料の休憩所でお茶をいただきました。釜にお茶が入っています。飲み終えたお椀は自分で洗うというシステムになっています。自分のことは自分でやれってことですね。

これで2019年の高野山訪問を終えました。しかし後日調べるとやはり行きそびれている箇所もあったため、2020年も訪れたいと思います。


年末年始に紀伊半島を一周し、メインである高野山にも行ってきました。ちょうど南海鉄道高野線の部分運休のため、橋本駅から代行バスで高野山に向かいました。なので高野山ケーブルカーは使用しないで向かいました。というのも、本来は車で向かうつもりでしたが、路面凍結と積雪のため、安全を考えて、車は道の駅に停めて公共交通機関を利用しました。

年始は金剛峯寺の根本大塔や金堂を拝観料無料で見学できるとか色々といいことがありました。もちろん根本大塔と金堂にある仏像や仏画を拝見しました。根本大塔と金堂の内部は神聖かつ神秘的な空間であり、今までの人生を悔い改めることができました。

そしてちょっと離れたところに奥の院という場所があり、古今東西色々な人のお墓があります。そして一番奥では弘法大師様が今でも修行されている場所があります。


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ここは奥の院の入り口になります。一の橋(正式には大渡橋)になります。一礼して橋を渡りました。この時はまだ雪は積もっていませんでしたが、参拝途中で急に雪が強くなり、帰るころにはうっすら雪が積もっていました。

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このように参道の両隣には有名な武将や武家、著名人の墓が並んでいます。もちろん一般の方のお墓もあります。あとは天災や戦争の犠牲者の供養塔などもあります。面白いのは、シロアリの供養塔もありました。

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伊達政宗公のお墓です。

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こちらは武田信玄公のお墓です。

といった有名武将のお墓が点在しています。明智光秀公や高野山の焼き討ちを行おうとした織田信長公のお墓もあります。実際は高野山を焼き討ちにする前に本能寺の変でお亡くなりになりました。
高野山の懐の深いところは、宗教や宗派、生前の行いの区別なくお墓を建てられるということです。なので織田信長公のお墓もあるのですね。


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雪が積もってきましたが、これは中の橋(正式には手水橋)流れる川は金の川、別名は死の川とも呼ばれ「三途の川」を意味しています。なので、この橋がこの世とあの世の分かれ目になります。

中の橋のすぐ横に「汗かき地蔵様」を祭ってある地蔵堂があります。案内板には


「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受け、そのために汗を流しておられるといわれています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです」

と書かれていました。

今まで私が犯した数多くの罪を代わりに受けていただき、感謝の念を込めてお参りさせていただきました。

このお地蔵様が汗をかかなくなる日が来るといいですね。

あと、この地蔵堂の横に「姿見の井戸」なる物騒な井戸があります。


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案内板には「昔からこの姿見の井戸を覗き込んで、自分の影が映らなければ、三年以内に亡くなってしまうと言う、怖い言い伝えがあります。しかし最近では、自分の寿命を試そうと覗き込む勇気ある人も多いようです」

と説明がありました。

とりあえず妻子がおらず、天涯孤独で孤独死が確定している私はこの世に未練がないので迷わず覗き込みました。
良いか悪いか分かりませんが、影(自分の姿)が映ったため、3年間は生きれそうです。


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これは弘法大師様休憩のために座った石(腰かけ石)と言われています。

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これは水向け地蔵様になります。だんだん雪が積もってくる中、全てのお地蔵様に水を掛けさせていただきました。氷点下の寒い中、水を掛けるとは逆に失礼になるとは思いましたが、全身全霊お参りをさせていただきました。

水を掛ける意味ですが「背負って頂いたけがれや苦しみを、水をかけて汗と一緒に流させて頂く」という意味があるそうです。

しかし、水向け地蔵様はご先祖様を供養するため、

「水向き地蔵様の御前のお足下に経木を立て掛け、右手でひしゃくを持って、左手は胸の前にもってきて、ひしゃくに水を満たして経木に3回ゆっくり水を掛けながら同時に大日如来様のご真言を3回唱える」
と説明している情報源もあり決して水を掛けてはならないとのこと。
水掛け地蔵と水向け地蔵は違うので罰当たりの間違えはしないようにと書かれていました。

私は罰当たりの間違えをしてしまっただろうか?後で私は「背負って頂いたけがれや苦しみを、水をかけて汗と一緒に流させて頂く」と解釈することにしました。あとはご先祖様に、私の代で代々の血筋が絶えることへのお詫びもすることにしました。


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水向け地蔵様のすぐ奥に御廟橋があります。これが御廟橋になります。(雪が積もっていないのは、実は奥の院には2日続けてお参りに行きました。この写真は元旦の写真になるからです。やり残したことがあったので、2日目にもう一度行きました。雪の写真は2日目になります。)

ここから先は聖域中の聖域、写真撮影は一切禁止になります。脱帽と一礼して橋の端を渡って先に進みます。一説によると、御廟橋まで弘法大師様がお迎えに来るとのことですので、礼を尽くして橋の端を渡ることにしました。

途中にちょっとした御堂があり「弥勒石(みろくいし)」通称「重軽石」が置いてある所があります。弥勒石は格子状の木で囲まれており、片腕しか入らないようになっています。この石を持ち上げた時に、軽いと感じた人は罪が軽い人で、重いと感じた人は罪深い人とのことです。

私が試したところ、重いどころか持ち上げることさえできませんでした。私は心がどす黒くて、重罪中の重罪人ということなのか!

まあ、今までの人生振り返ればろくな人生じゃなかったし、持ち上げることはできないと納得しました。

さらに進むと燈籠堂があり、弘法大師様を描いた絵が飾ってありました。正月でしたので、お坊さんが懸命にお経を唱えていました。燈籠堂の中では、お守りも売っており、自分の身に災難があったときに、その身代りとなって御守りしてくださると言われているお守り「身代御守」を購入しました。普通のお守りの有効期限は1年間ですが、「身代御守」は中のお札が割れない限り一生使えるお守りになります。
ちなみに燈籠堂の中では縁結びのお守りは売っていませんでしたので、御廟橋手前で購入しました。

燈籠堂を左回りに向かうと、弘法大師御廟があり、その奥で弘法大師様が今でも修行されています。そこでロウソクとお線香をお供えしました。熱心な方でお経を唱えている方が2名いました。

燈籠堂には地下室があり、燈籠と身代わり大師が並んでおり、一番奥の祭壇で弘法大師様に一番お近づきになれる場所があります。実は元旦にこの場所を訪問し忘れたため、2日目に再度奥の院を訪問しました。

やはり地下室は静寂で神聖かつ神秘的な場所になります。

これでやるべきことを全てやり切ったので、5日間の車中泊を終え、このまま自宅に帰ることにしました。

2019年1月追加

2019年の正月にも高野山を訪問しました。やり残したことと高野山の神聖な空間をもう一度体験したかったため訪問しました。追加記事になります。

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